佐世保キリスト福音教会の沿革 

 佐世保キリスト福音教会は、昭和33年(1958年)9月に創立し、平成30年(2018年)9月に60周年を迎えるので、その歴史を振り返ってみたい。1 WMCの発足教会の沿革には、ワールド・ミッション・ツウ・チルドレン(WORLD MISSONN TOCHILDREN 以下「WMC」と略称する。)とのかかわりを抜きにすることはできない。
 WMCは、第2次世界大戦中ドイツの掃虜となった一人の人物が、捕虜となっていた時に、何十万もの戦禍に見舞われ、悲惨と絶望の中におかれたヨーロッパの子どもたちを直接目にし、カナダに帰国した後、これらの子どもたちに救いの手を延べ、神の保護の下に置くべく活動を開始したことに始まる。
 カナダの青少年たちもその活動にチャレンジを受け、1946年12月2日WMCが設立された。WMCは、以後、ドイツ、日本、インド、オーストリア、ブラジル、アイルランドなどで活動をするようになった。
 佐世保キリスト福音教会は、WMCの活動に賛同したアメリカのキリスト教(プロテスタント)の若い婦人宣教師によって、昭和26年8月に、佐世保市大野町(現佐世保市瀬戸越4丁目)において、始められた養護施設が発端である。
 戦後の社会は混とんとした世情の中で、激増した孤児たちを保護育成することが聖書に示された神の御意志であると示された宣教師2名と日本人保母4人によって、親和銀行頭取坂田重保氏の好意により、当時休眠中であった親和銀行大野支店の建物において、養護施設が始められたことに始まる。
 この施設は、昭和26年12月に、佐世保市藤原町137番地に土地および建物を購入し移転した。この施設に次々に宣教師が派遣され、昭和28年1月22日に「宗教法人ワールドミッション・ツウ・チルドレン」として法人としての設立公告をなし、同年6月30日に長崎県知事の認証を受けた。
 その間、佐世保地域の特殊な事情により、この地域に在住するアメリカの軍属や軍人等と日本人女性との間に生まれた子供たちが増加し、WMCは、それらの子供たちを受け入れ、孤児30人を収容する施設に発展し、その機能を果たしてきた。
 また、佐賀市にも宣教師を派遣して、孤児施設をもうけたが、間もなくこの施設は佐世保に統合され、佐賀には教会が創設された。佐賀キリスト福音教会である。WMCは、子供たちを、家庭的な雰囲気の中で育成するとともに、多くの子供たちを、子供を欲しいアメリカの人々たちとの養子縁組をして送り出し、それらの子どもたちが各地で活躍している。
 WMCは、子供たちをより家庭的な環境で育成したいとの目的で小舎制を採用することとし、佐世保市天神町850番地に土地を購入し、住宅4棟と付属建物を建築し、昭和32年9月に移転した。小舎には、各保母と子供数人が配置され、家庭的な雰囲気を醸し出すように心配りがなされた。

2 教会の設立

 WMCが、昭和26年の9月から毎週火曜日に佐世保市大野で宣教師によって始めたバイブルクラスは、施設が藤原町に移転したのちも大野の農業協同組合等の1室を借りたりして続けられ、やがて、このバイブルクラスにクリスチャンが与えられ、佐世保市若葉町の建物の一室を借りて礼拝なども行われるようになった。
 また、伝道集会も開かれ、当時衛藤鉱業株式会社紋珠岳炭鉱の技術者であった河野敬一氏(佐世保キリスト福音教会の初代牧師となった前社会福祉法人光の子福祉会理事長兼学校法人恵光学園理事長)も主に導かれ、献身することになった。そのころ、佐賀キリスト福音教会には佐世保で高等学校の英語教師をしていた池田三雄氏が献身し、同教会の牧師になった。昭和33年6月に、当時WMCの施設長であったハギンス宣教師は、佐世保市稲荷町249番地(現稲荷町9番3号)の家屋2棟を購入し、裏側の1棟を牧師館とし、表側の1棟(2階建)を改造して礼拝堂及び集会室として佐世保キリスト福音教会を創設した。
 教会は、ハギンス宣教師及び初代牧師河野敬一氏によって始められ、間もなく松尾淳一郎氏(小学校教師をしていたが、佐賀市のWMC孤児施設で始められたバイブルクラスで献身し、日本クリスチャンカレッジ〔東京キリスト教大学の前身〕を卒業し、昭和33年4月WMC佐世保に保父として赴任)が牧師に加わった。
 この敷地建物をハギンス師及び河野師が下見に行った際同行したのが奇しくも幼い頃の坂口牧師であった。WMCは、昭和35年2月に河野牧師及び松尾牧師を壱岐(壱岐市郷ノ浦町)に派遣して壱岐伝道を開始した。現在の壱岐伝道所の、始まりである。壱岐伝道所は、当初河野牧師と松尾牧師が交代で伝道していたが、河野牧師が早岐キリスト福音教会の専任牧師とになったのち壱岐伝道所も同牧師が専任することになった。そして、河野牧師が、社会福祉法人を開設してWMCを退会したのちは、ハギンス宣教師が専任していたものの、ハギンス宣教師がWMFを 退会したのち松尾牧師が専任することになり、その後坂口牧師に引き継がれた。
 WMCは、昭和35年春に佐世保市早岐町(現佐世保市早岐1丁目)に早岐キリスト福音教会を設立し、河野敬一牧師及び数名のクリスチャンを派遣した。河野牧師は、このころから早岐教会に専念することになったが、そのころから、早岐地区に子供の施設を作るビジョンを与えられたとのことである。このビジョンが後の光の子福祉会(乳児保育園、ケアハウス、特別養護老人ホーム等)及び恵光学園(認定子ども園)となったのである。WMCは、昭和43年から、キリスト教福音の教化育成を目的として、施設内にべラカ聖書学校を開設し、献身する信徒青年の教育を開始した。この学校の卒業生の数名が牧師になって活躍している。
 また、昭和43年4月、教会員のひとつの家族が長崎市に転勤したことに伴って、長崎で家庭集会(礼拝及び教会学校)を始めたが、その後佐世保や佐賀、福岡などにある教会の子弟が長崎にある大学(長崎大学、清水学院大学、長崎外国語大学など)に進学してこの集会に集うようになり、家庭での集会が手狭になったことから会館の一室を借りるようにった。
 そして、集会は、この家族が長崎滞在中続けられて、昭和55年転勤に伴う転居によって閉じられた。この集会に集った方が牧師夫人や小、中、高校教師等になり、あるいは他の教会の役員として現在も活躍している。WMCは、その儀、戦後に発生した孤児等の養護育成という目的を終えたことから、昭和53年12月23日宗教法人ワールドミッション・フェロシップ(以下「WMF」と略称する)に改称し、宣教活動に専念していたが、平成14年7月1日その目的が終了したとして解散した。その際の代表役員が坂口牧師である。
 WMCは、壱岐のほか、佐賀(現佐賀キリスト福音教会)、大川(現柳川聖書教会)、大島(現大島ベラカ聖書教会)、長崎(現恵みチャペル)、唐津、伊万里(現伊万里希望教会)、多久などに伝道を広げていった。WMCは、昭和33年ころから毎年夏に、佐賀県佐賀市川上峡、佐世保市烏帽子岳、佐賀県唐津市虹ノ松原海岸、長崎県大島(現西海市大島)等でWMF傘下の教会合同のバイブルキャンプを行い、あるいは長崎県と佐賀県の県境にある多良岳でのキャンプを行い、信徒の信仰の成長と教会員の交流を図ったが、各教会が独自の歩みを始めたことから、昭和60年代に入って中止された。

最初の教会

 海軍の刑務所があった時代、ここには旅館があった。それを買い取って、教会をスタートさせた。木造の2階建てであった。

3 教会の独立

 佐世保キリスト福音教会は。創設当初は、WMCの援助を負うところが大であったが、昭和40年ころから自給自足ができる状態にまで成長した。そして、WMCの経済的援助を断り、経済的に自立したが、そのことにより教会はさらに物心両面において成長した。昭和46年、牧師館が老朽化したため、牧師館を解体して新たな牧師館を建設することにした。

 牧師館建設には、教会員の建築士及び左官が中心となって建設した。その後、教会は、さらに成長を遂げ、WMFから独立を考えるようになり、そのための準備に入った。また、教会の建物の老朽化による建て替えの必要を迫られ、これらを検討する「会堂建設委員会」と教会の独立法人化のための準備をする「法規委員会」の二つの委員会を立ち上げ、それぞれ準備に入った。

 そして、昭和55年7月、WMFと教会役員会が協議をし、WMFのハギンス宣教師から、長老教会としての独立なら認めるとの快諾を受けた。しかし、教会の法規委員会が作成した教会規則は、WMFの長老主義教会に沿わないということで、法規委員会のメンバーは、毎月1回の同宣教師の指導の下に長老主義についての勉強会を始め、昭和57年「宗教法人佐世保キリスト福音教会規則」の成案を得た。この教会規則について、ハギンス宣教師の快諾を得たので、長崎県知事に対し、教会の法人としての設立申請をし、昭和58年4月19日長崎県知事の認証を得て、同月22日長崎地方法務局に登記し、宗教法人佐世保キリスト福音教会として正式発足した。

 一方、会堂建設委員会が検討していた会堂改築については、教会員に対し教会債を発行し、銀行の貸し付けを受けて、昭和59年9月現会堂(鉄骨3階建)の献堂を得たが、同時に多額の負債を負うことになった。しかし、このことによって教会員の結束はさらに固くなり、霊的にも成長することになった。そして、銀行からの負債は平成6年に、教会負からの教会債は平成7年に完済し、益々主の恵みを体感することになった。なお、牧師館を建設する際、会堂を建設するときは3階部分でドッキングしようとの計画もあったが、年月を経ていて建築基準が変わっておりドッキングの許可が得られなかった。

現在の会堂

今から41年前に建設した。旧会堂が使えなくなり、さまざまな場所を検討したが、ここに新しく建てることにした。それは今でも最善であったと確信している。
現在の建物は鉄筋の3階建て。1階は駐車場とトイレ、2階は礼拝堂、3階は集会所になっている。

4 転換期 昭和

 63年(1988年)教会は創立30周年を迎えた。そして、同年9月23日から25日まで佐賀キリスト福音教会の池田三雄牧師を招いて記念特別集会を行い、翌平成元年(1989年)3月に創立30周年記念誌「良き実」を発行した。(「良き実」は、教会の主要メンバーが青年会を構成していたころの青年会の機関紙名である。

 「良き実」は第8号まで発行されたが、その後機関誌発行に携わっていた青年会のメンバーが次々に結婚し、後継者がいなかったために自然消滅したものである。この記念誌の表紙のデザインは、かつての青年会のメンバーの一人が題字を欠き、絵は当時のものを再現した。)。

 この「良き実」に松尾牧師は教会の展望として1)伝道する教会2)キリストの愛を基調とした交わりの教会3)信仰の継承と後継者の要請を掲げている。これはまさにこれまでこの教会が歩んできた道であり、教会員はしっかりと受け止めている。そして、次は創立50周年記念行事へとの希望があったが、50周年の記念行事を行えなかった。教会創立50年(法人化25年)のころから、長年教会を牧していた松尾牧師も高齢になり、後任牧師の招聴が望まれ、長老会において教会の将来について検討を重ねていた。

 そして、平成23年8月松尾牧師が突然入院(9月に退院)することになったのを機に、松尾牧師・長老を中心とした牧師招聘委員会を設置し、後任牧師の選任を検討した。その結果、当教会の出身であり、新潟聖書学院の学生主事をされている坂口文雄師に後任の牧会をお願いすることが最善であると導かれ、教会員の総意を得て(坂口師は、日本同盟基督教団の教師であることから、同同盟に加入することも前提に入れての同意)、平成24年11月松尾牧師夫妻ほか2名の牧師招聘委員が坂口師を訪問し、教会の意向をお伝えした。

 坂口師からほどなくして快諾の御返事をいただいたが、松尾牧師の健康は優れないことが多くなった。そのため坂口師が着任されるまでの間、松尾師が礼拝メッセージをすることができない時は、教会の主だった兄弟たちが代わってメッセージをし、祈祷会を導き、また事務的なことも代行して、教会を維持した。そして、平成26年4月坂口文雄牧師が着任した。また2025年4月から、中尾芳也師が牧師として就任して、現在に至っている。

壱岐キリスト福音教会

の歴史

壱岐キリスト福音教会(壱岐伝道所)の歴史は、1960年に佐世保を拠点とする宣教活動の一環として始まり、今日まで長崎県壱岐市の信仰の群れとして歩みを続けています。
 
 出典資料に基づき、その歴史と変遷を項目別に詳述します。
 
 1. 伝道の開始と初期の歩み
    創設: 1960年(昭和35年)2月、ワールド・ミッション・ツウ・チルドレン(WMC)の施設長であったハギンス宣教師、初代牧師の河野敬一師、および松尾諄一郎師(当時は保父)らによって、壱岐市郷ノ浦町での伝道が開始されました。
    初期の宣教活動: 当初は河野師と松尾師が交代で壱岐へ赴き、伝道を行っていました。1961年の「壱岐伝道記」には、激しい時化(しけ)の中を船で渡り、郷ノ浦の伝道所を拠点に石原家、末永家、藤岡家などを訪ねて証しを交わした熱心な奉仕の様子が記録されています。
    体制の変遷: 河野師が早岐キリスト福音教会の専任となった後は、一時ハギンス宣教師が壱岐を担当しましたが、後に松尾師が専任し、現在は坂口文雄牧師へと引き継がれています。
 
 2. 信仰の柱となった信徒たち
    市山信子さんと新之丞さん: 市山信子さん(旧姓吉田)は、松尾師と同じ頃に日本クリスチャン・カレッジ(JCC)を卒業後、壱岐の兄弟であった市山新之丞さんと結婚して壱岐に移り住みました。夫婦は長年、壱岐の群れを支える中心的な役割を果たし、2011年に新之丞さんが召天された後も、信子さんは壱岐の信仰を守り続けています。
    石原家の貢献: 夕礼拝は長年、石原家の自宅応接間で行われてきました。また、石原睦己さんは礼拝の奏楽を担当するなど、壱岐の礼拝維持に大きく貢献しています。
    歴史を繋ぐ受洗者:
        1996年:石原美津子さん、石原睦己さんが受洗。
        2017年:石原聖二さんが受洗。
        2025年:石原理陽(りょう)さんが受洗。
 
 3. 会場と礼拝形態の変遷
    集会場所: かつては「佐世保教会壱岐伝道所」の看板を掲げた専用の部屋(賃貸物件)を借りて礼拝を行っていた時期もあり、多い時には20人以上が集まっていました。現在は、石原家での集会やオンライン参加が主となっています。
    現代の礼拝(ハイブリッド形式): 壱岐のメンバーは、佐世保の本教会の礼拝にLINEを通じてリアルタイムで参加しています。
    対面礼拝の状況: コロナ前は毎月1回、牧師が壱岐を訪れて対面礼拝を行っていましたが、現在は信徒の高齢化などもあり、隔月ごとの対面礼拝(午後の時間帯)へと切り替わっています。
 
 4. 壱岐伝道の現状と課題
    佐世保教会との関係: 壱岐伝道所は長年の歴史により独自の口座を持っていますが、佐世保キリスト福音教会は「当教会の伝道所」として、財政面や説教者の派遣を含め、全面的にバックアップする体制をとっています。
    将来への不安: 中心的なメンバーの高齢化が進んでおり、将来的にどのように群れを継続していくかが大きな祈りの課題となっています。
 
 壱岐キリスト福音教会の歴史は、玄界灘を渡る牧師たちの献身と、壱岐の地で実直に信仰を守り続けてきた信徒たちの歩みそのものであると言えます。



最適な場所

 駅から近く、バス停もそばにある宣教に最適な場所だった

初代牧師

佐世保キリスト福音教会の初代牧師は、河野敬一先生です。
河野先生は、早くから福祉や幼児教育を大切にしました。その働きによって、さまざまな施設ができあがっています。

初代宣教師

烏帽子岳のキャンプで、日本脳炎を患ってしまった。WMC最初の殉教者、バード師。

礼拝 
 日曜日 10:30〜11:30
どなたでも歓迎します。
※礼拝の中に毎週、短い「こども礼拝」を組み入れています。 
※夕礼拝は19:30です。夕拝に来られる時はご連絡ください。牧師携帯(中尾芳也):090-1385-7158


壱岐キリスト福音教会(佐世保キリスト福音教会伝道所)の礼拝
毎月、第四日曜日となっています。
時間は午後に行なっています。
参加ご希望の方は牧師までご連絡ください。
牧師携帯(中尾芳也)090-1385-7158